登壇者プロフィール
2006年 株式会社サイバーエージェント入社
2010年 同社100%子会社(当時) 株式会社CAテクノロジー 取締役
2011年 同社100%子会社 株式会社CyberZ 取締役
2013年 グーグル合同会社 インダストリーマネージャー
(メディア&エンターテイメント業界担当)
2016年 Datorama Japan株式会社 営業責任者 兼 事業開発責任者
2018年 株式会社セールスフォース・ジャパン Regional Sales Director
2019年 株式会社ゴッドバレー設立 代表取締役社長(現任)
2020年 パイオニア株式会社 モビリティサービスカンパニー
チーフ・デジタル・オフィサー(CDO)
2021年 同社 モビリティサービスカンパニー
チーフ・マーケティング・オフィサー(CMO)兼 チーフ・カスタマー・オフィサー(CCO)
※ 2022年よりエグゼクティブ・ディレクター
2021年 石戸商事合同会社設立 CEO(現任)
2022年 パイオニア株式会社 経営戦略本部 チーフ・デジタル・オフィサー(CDO)(現任)
1969年、大阪府生まれ。甲南大学法学部を卒業後、広告代理店の営業部長を経て、2000年にインターネット広告を手掛けるアイブリッジ株式会社へ入社。
2007年9月、アイブリッジ株式会社、アドデジタル株式会社、アカラ株式会社、ブランド総合研究所という4つの会社を束ねるグループ会社へと成長した同社の社長を辞し、株式会社コミクスを設立し、代表取締役社長に就任。
パイオニア入社直後にコロナが拡大
はじめまして、パイオニアの石戸と申します。今はパイオニアで先ほど鈴木さんからご紹介ありましたけれども、今「コトからモノへ」ということで、データとかクラウドをビジネス化していくっていうところで事業を推進しております。
ただですね、それまで私は製造業というよりも、ずっとベンチャーとかIT企業とか外資にいきまして、新卒ではサイバーエージェント社、その後Google社、ご存知の方はいないと思いますが、イスラエルのスタートアップのDatorama社という会社に入りました。
そちらがSalesforce社に買収されるまで、一貫してITをやってまいりました。今本当にはじめて、製造業を老舗企業というところで働いております。
パイオニアに変えられた時に「そこか」と、ちょっと驚いたんですよね。大企業で組織変革しながら、自分のポジショニングをちゃんと存在価値上げていくって難しそうじゃないですか。「なかなか変わらなくて」みたいな人が多い中で、もうコロナ禍の前ぐらいからもうパイオニアなんですかね。
一方で全部Web会議になったので、逆にいうとうちって川越に工場があったりとか、あとはシンガポールとかアメリカの人たちにWeb会議ですぐに1on1できたので。逆に出社してたら文京本社だけだったかもしれないので、最初は「案外良かったのかな」なんていうのを、後々は楽観的に思ってました。
コロナ禍の2年で60人もの外部人材を採用
まず、ずっとデジタルとかベンチャーの仕事をしてたので、その人材の逆の流動性を作りたいなと思ったのが1つだったのですね。だいたいみなさん老舗企業に行くと、中堅とか若手は「ベンチャー行きたいな」とか「GAFAに行きたいな」とか、それはそれで応援するんですけど逆がないんですよね。
例えば「GAFAとかベンチャーから大手に行きたい」ってほとんど聞かなくて、一方で私がSalesforce社とかGoogle社の時に大手の企業と仕事すると、みんなデジタル人材がいないって同じこと言うんですよ。その支援側にいるのに相手側のデジタル人材がどんどん減っていく違和感があったので、1つはそこをやりたいなと思ってました。
もう1つは、老舗には本当はすごい魅力があると思っているんですよね。実はパイオニアにも、ベンチャーがやってるような同じビジネスモデルっていうのがあって「これベンチャーだったらめちゃくちゃすごいよ」っていうのがあるんですよ。
だけどパイオニア全体の中にあると埋もれちゃうので、実は大手でやってるけれどベンチャーと同じような魅力があるものを、外に伝えたり磨いていくってことをやりたかったのです。なので本当に1年目は特に、パイオニアの良さを外のデジタル人材とかデータ人材に伝えて、採用広報とか採用っていうのを積極化してまして。
2年目は、ある程度一定のメンバーも揃ってきましたし、中にもやる気があって優秀なメンバーたくさんいますので、私はマーケティングとかカスタマーサクセスとか、これまでパイオニアがやってきてないような領域のビジネスの実行のところをやってるといったことをしてきました。私だけの力じゃないですが、この2年で外部からのデジタル人材が50〜60人ぐらい入ってきたりもしました。
ただ、保険もありますし、他は全て正社員とほぼ同じなんですけど、契約期間があったり退職金が出ないとかくらいの違いですが、そういった方が何名かはいます。ジョブ型雇用みたいな感じですかね。
採用の凍結期間で会社理解を深めてから活動できた
あと、クラウドとかデータのビジネスを強化するといった時に、ソフトウェア中心のエンジニアっていうのが、組み込み型のエンジニアはいたんですけど、ソフトウェア中心のエンジニアがいなくて。これを今からどういう風に増やしていこうかと。
なので、やっぱりCTOとかですね。組織作りもできてハンズオンできる、よくあるベンチャーにいるようなCTOがやっぱり必要なんじゃないかみたいなところは、やっぱり最初よく経営陣に話しながら採用に動いてたっていうのは記憶してます。
人を強化したりするってこと自体は、もう8カ月ぐらい動けなかったので、そこは少し二の足を踏んだ感はありますが、結果的に自分もその間に会社を理解できたのでよかったかなと思ってます。
初年度で結果的に30本ぐらいのメディアとか登壇をすることもあって、やっぱり「あれパイオニアな変わったな」とか、今までこっちを見なかった人たちが「なんか興味あるな」とか、あとは採用プロセスの中で、記事化されているアーカイブがあると「なるほどこういうことやってるのか」と伝わって。実は私が入った時って、パイオニアのデータとかクラウドって何やってるか全然わからなかったんですよ。
じゃあ「データって何がすごいの、クラウド何がすごいの」っていうのが、そっち側にいた人間が中に入ることによって、それを外にまたデジタル人材に伝えると、またそこが伝わりやすかったりするので。そういうことをとにかく1年目やって、あとは人に会ったりとかそんなことしましたね。
あとBtoBとBtoCがあるんですけど、BtoCの方にはデジタルマーケティングとか、色々とデータが得意な人も入ってきたりしてくれたので。そこからはどちらかと自分は、BtoBのビジネスの再強化みたいなところのより現場に入るような動きにシフトして、その広報みたいなものも人事とうちの広報が徐々に立ち上げてくれたので。自分としてはどちらかというと実行側に移っていったのが2年目とかですかね。
急ピッチで増員していく際の予算管理のポイントは?
5年、10年後の計画を見立てながら、今ってどちらかというと「J」の掘ってる最中なので、すごい目標高いので目標もヒリヒリしますけれども。結構今、投資フェーズっていう風な形で計画を経営陣とかステークホルダーと、ある程度合意を取れてますね。
中長期でちゃんと見ながら、経営陣もそこに対してコミットメントしてくれてるので、ちゃんとJカーブを描きながら3年後とか5年後の目指すところに向けて、しっかり足腰鍛えているみたいな状況なんですかね。
「自由な働き方」をつくるまでの経緯
これって例えば、会社の経営幹部が社員のウェルビーイングと業績の向上を実現するのに対して、どういうことから手をつけていったらいいのかというところのヒントにもなるのかなと思っているので、そのあたりでちょっとお聞かせいただけますか。
今12歳なんですけど、それまでって新卒でサイバーエージェントで土日も働いて、すごい遅くまで働いてる時代があって。子供産まれたぐらいって、ちょうど子会社の役員になった年だったんですよ。そのマネジメントのやり方が変わった時に「ただ単にがむしゃらに働く人だけの下に自分もいたくないな」と思いましたし、子供が生まれる社員も少なかったので、まず自分自身が多様性持たなきゃなとか。
あと、自分自身が「多様性のある人についていきたいな」っていうのをすごい感じて。当時だとなかったんですけど、サイバーエージェント社で初めての育児休暇を男性で取ったりとか、水曜日は「今日早上がりさせてください」とか「今日17時半に帰らせてください」なんていう人は当時1人もいなかったんですけど、僕はそうしたりとか。
そうすると結構社員の方から「自分そういう風な働き方したかったです」とか「子供産まれた時には育児休暇を取りたいです」とか。「なるほど。がむしゃらに働く人だけじゃないな」っていうのが当時の自分としての思いと、あとは「こういう会社だったらいいな」ってことで。
ただすごい葛藤があったんですよね。誰も育児休暇取ってないですし、毎週水曜日に帰ろうなんて人いないので、絶対当時は結果を出さないとダメだってことで。育児休暇を取った月も、どうにか事前に準備して営業の人に絶対渡していましたし。
あと、水曜日に早く帰るって言った時にも、当時はSlackなんてなかったのでYammerっていうのが出はじめた頃だったんですよ。それでYammerを駆使して数字の読みなんかはもうExcel廃止にして、僕のチームはもう全部「チャットとオンラインで報告していいよ」ってことで、水曜日帰ってもいつでも読みができるように。なので、結果を出しながらやらないとみんな認めてくれない。当時そんな雰囲気だったので、今はだいぶいろんな許容されましたけど。
あとそういう組織の方がいろんな人が働けるなと思ったので、結果的に3年前からなんとなくやりたかったレストランやったりとか、あとはキャンプに3ヶ月に1回は会社休んで行ったりとか、それもあえてソーシャルに上げちゃったりとかですね。
自分が欲しいなと思って。地元の家具職人の隙間時間を一緒に、僕はプロデュースして、彼が作って、キャンプ用のテーブルを今月発売するとかってよく分かんないんですよね。
その間、結構いろんなお客さんに来てもらうために食事を良くしたりとか、あと僕が好きなナチュラルラインを出して、結構好きな人多かったので、キーとなる目玉商品をコロナ禍中に仕込んで。今おかげさまでお客様も結構来てくださるようになったって感じで生き延びてます。
経営幹部がウェルビーイングと業績の向上を実現するためには
よくウェルビーイングとかSDGsのやり方ってPERMAとかって言われるじゃ無いですか、ポジティブな感情とか、何かに没頭するとか、いい人との人間関係とか、そういうのがいろいろあると思っていて。あと仕事に限らず「自分で選択したキャリアの幸せ」とかっていうのが結構大事だと思うんですよね。
経営幹部自らが結構やってる方が多いと思うんですけど、よく釣りが好きな経営幹部もいたりとか、いろいろ皆さんいると思うんですよね。そういうなんか仕事以外で没頭していて、ポジティブな感情があって、仕事以外に何か選択された人生の幅がある人っていうのは「そういう人と働きたいな」っていうのが自然と滲み出てきたりすると、社員に「なんか副業いいよ」とか「ポジティブに働きなよ」っていう感じで言うよりも、自らがそういう風にやって。
それでかつ、仕事でもある一定のちゃんと結果を出すみたいな。そういうのが自然とやられてる方も多いと思いますが、よく外資とかだと「子供がいてね」みたいな自己紹介をすると思うんですけど、日本の大手の会社さんって仕事だけの話が多いので、そういう自然体が出てくることが個人的には大事なのかなと思ってるところですね。確立したやり方かはわからないですが。
たしかにそれで自分の経験とか、知見とかいろんなものが広がっていったんですけど、2017年で僕がGoogle社を辞める時ですね。その時になんとなく「もうちょっと自分らしい生き方しようかな」と思って、ただ5年間それやってきたのでそういう風に考えるやり方は染み付いてたので、そこからはなんとなくぼんやり考えながら、少し1つ1つの出会いとかを自然体にしようかなと思って、あえて紙に書くのはやめたんですね。
なんかある一定の視点が付いた時には、おっしゃる通りで縛られるというか、そういうのがなくても自分らしさっぽい感じになりました。そのタイミングが2017年ぐらいだったかなって感じかもしれないですね。
「ならこの本読めよ」とか「こういう仕事しろよ」っていう風にすごいアドバイスくれるので、可視化しておくと周囲がすごいアドバイスとか協力してくれたのは、その当時は良かったなと思います。
日本の産業とベンチャー・IT融合の重要性
で、もう1点は12年前とかにちゃんと書いてたっていうのは、若手の自分がまだ何者でもないっていう時は、周りの協力が得られるから有効だけど、ある時に窮屈に感じたらそれはやめてもいいよっていうそういう話ですかね。せっかくなのでパイオニアはこういうサービスでやってますとか、今こうなんですよとか一言ありますか。
そういう中にいる方々ってのは本当に自分も尊敬しますし、一方でITとかベンチャーやってきた人間がその業界にどう貢献して日本をもっと元気にするかとか、社会を元気にするかって思いで今自分が働いてたりするので。
生え抜きでやられてきた方々がもし多いようでしたら、そういう中のことをベンチャーとかIT企業にもっとうまく発信してですね、融合できるといいと思いますし、自分自身もそういうパイオニアの2年、3年前ぐらいの同じようなフェーズだとしたら、ぜひ意見交換とか、自分ができることっていうのは支援したいなと思ってますので。まだまだパイオニアのデータとかクラウドのビジネス、すごい今加速してる最中ですけれども、引き続きご期待いただけるとありがたいなと思ってます。
まとめ
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